徳川の三傑
徳川三傑
本多忠勝、井伊直政
そして、榊原康政である。
康政の康は家康の康であり、三傑では唯一家康からその名を拝命している男である。
この男、逸話に事欠かない。
だが、なぜか井伊や忠勝よりも地味な印象を与えてしまう。
それは、長久手の戦いで秀吉を挑発するために、その祐筆としての才能をフルに発揮して織田家を乗っ取る奸臣、出自のしれない野蛮人とそれはもう、見事にののしった。
それに怒った秀吉は、榊原の首に10万石の賞金をかけて、周りに奮起させた。
しかし長久手は秀吉優位で終着。
大変気まずい榊原ですが、秀吉が徳川を懐柔するほうに方向を定めたため、特に咎めが無いどころか官位まで用意される始末。
そして関が原。
榊原は三傑で一人だけ秀忠隊に組み込まれており、本戦に参加していない。
家康は息子・秀忠が遅参したことに激怒し、当初は顔すら見なかったという。
そこを取り次いだのが榊原なのだ。
家光が将軍になれたのが春日局のおかげならば、秀忠が将軍になれたのは榊原のおかげといっていいだろう。同僚の井伊は別の人物を押していたし、忠勝は娘婿の実家の問題で家康と諍いがあった。
結果、秀忠が将軍になったのだが。
しかし家康は三傑で榊原だけ加増しなかった。
しかし本人が家老職を進められた際「老臣権を争うは亡国の兆しなり」と言って断っている。
三河武士にしては意外な男、それが榊原である。
文体系に紛れ込んだ工学系というかんじだろうか・・・・・・。
だが、檄文は直江のほうが有名だし、詫びいれも伊達の白装束などのほうがインパクトあるのが、実に世知辛い。
2008年10月14日|
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