幕末の人物
伊藤俊輔
・明治に伊藤博文と改名している
・利助、デポナーなどなど、別名多し
・通算4回内閣総理大臣を勤める
・最年少勝利就任記録であり初代首相。
・武勇伝にも事欠かない
あえて俊輔としたのは、幕末は彼のことをそう呼ぶことが多いからである。
初代総理の栄光を持っている誰だが、出自が水呑み百姓という卑賤の生まれである。
それから父親が足軽の養子になり、吉田栄太郎と遊び、松下村塾へ入り、彼の人生は一転する。
身分社会の幕末において彼は汚れ仕事を請け負わざるおえない身であり、一度、その手を血に染めている。
それ以外も高杉の弟分ないし舎弟といったかんじのため、高杉のパフォーマンスに巻き込まれたことも少なくない。むしろそちらのほうが命が・・・
伊藤が飛躍的に変わったのは、たはり高杉との出会いだろう。
あまり松陰に好かれていなかった伊藤は、高杉に目をかけてもらうことで、桂、井上、周布、などといった面々と面識を得ることに成功している。
思想家の松陰と毛色の合わなかった伊藤の周旋の才だが、高杉は伊藤の気性と相性がよかった・・・・・・と、言うか伊藤が松陰でも久坂でもなく高杉を自分の頭に選んだ、とでもいうべきか・・・ため、自分の兄貴分の桂小五郎の育(長州特有の制度。才能あるものを取り立てるため後見人の与力ようのうな立場へ持ち上げる)に勝手にした。ちなみにその時点で伊藤と桂の面識はない。
高杉はそういう男なのだ。
幕末の伊藤をみると、いやおうなしに高杉の姿が目に入る。
それは伊藤が高杉に目をかけてもらったことが大きな要因であるが、やはり身分が身分のために自発的に動くことが困難な時代だったのである。
そんな伊藤は井上と気があった。
身分の壁が高くそびえるなか、井上は伊藤のところにひょい、とやってきた、伊藤もそれを拒まず、二人はお神酒徳利といわれるほど仲良くなった。
その井上の伝でイギリスに密留学したり、6ヶ月で帰って歴史の舞台顔を出したりしており、この男の半生を見ると人間関係の尊さを教えられる。
伊藤の博文という名も、俊輔という名も、高杉がつけたといわれている。
春畝もそうだ。
また伊藤の名前が花山春輔
井上の名前が春山花輔
といった名前にしていたこともあるにはある。
2008年10月 2日|
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